夜が明けたら

こうやって…待っているうちに…、いずれ、夜が明けたら…。

望まれるはずの結末が切ない話

本屋の森のあかり』全12巻を読んだ。書店や読書に関心があって、加えてラブコメディーが好みでないのでなければ、読んでみて損はないというか、興味深いのではないだろうか。読書の秋です、読みましょう。

本屋の森のあかり(12)<完> (KC KISS)

本屋の森のあかり(12)<完> (KC KISS)

 

 

タイトルに従って、書店とそこで働く人々の物語です。登場人物のひとり、ヒロインはあかりという女性で、彼女が東京の本店に異動になってからはじまる成長と、恋模様が描かれます。

彼女が恋した男は、人生が読書そのものであった男です。やさしいひとですが、変人として描かれており、例えば、家族からは人間味に欠ける人物として扱われています。結末から述べると、彼女の恋は成就します。意地の悪い言い方になりますが、この結末の後味は悪く、それが本作の魅力のひとつとなっています。

あかりの恋はもうひとつありました。同期の緑が彼女に恋をしています。つまり、この恋は成立していません。都合、あかりにまつわる恋は本作で2つありました。そして、本作の主題となる恋愛は実は緑の失恋になると私は判断しました。そうすると、この作品のおもしろさは確かなものになります。

ところで、あかりの恋が少なくとも物語の結末としては成立することは、最初から見込まれていたようです。それを大雑把に解釈しようとすると本作は、現実感がない男に惹かれた彼女を描き切るのが趣旨だったのかもしれないし、その背後で惹かれ合った男女のタイミングの喪失が描かれているのが魅力なのかもしれません。

成立しなかった恋についてですが、言うまでもなく、あかりは緑の魅力に気がついています。そして確かに惹かれています。そして緑の恋が成立することが私には期待されました。なぜかといえば、緑の人間的な魅力の方が、あかりの恋した男よりもよっぽど強く描かれているからです。

誰に惹かれるかは個人の人間の事柄ですし、あかりが誰に惹かれようと彼女の問題ですが、一方で読者がどういう結末を強く意識するか、願うかもそれぞれです。つまり、繰り返しますが、あかりの恋が叶う結末が本作の魅力か、あかりと緑の恋がすれ違ったまま終わったことが本作の魅力か、どちらでしょう。いやはや素敵な物語です。

あかりが惹かれた男についてもう少しだけ述べておきます。

本作は「読書が人生」という人間を描き切れていないようで、それを描き切ります。結末の要点となりますが、彼女が恋した男は、彼の理解者である父親の死を受けて、当たり前ですが、人並みに哀しみます。そのとき彼女は彼の支えとなり、男もこれを素直に受け入れます。

もちろん結末に至るまでも、彼女と男との交流はあるのですが、これが「読書が人生」の男の人間性を取り戻す過程であって、そもそも「読書が人生」の男は、恋愛ベタというようなレベルではない人生観にある人物でありました。

あるいは、この男が彼女に惹かれていく過程を、彼の父親の死を使わずに、言って見ればもっと丁寧に描くこともできただろうけれど、仮にそうしたときには、男からは「読書が人生」でなくなっているはずであって、そのとき、彼女が惹かれた男の正体はどこにあるのか分からなくなる。この男は本を契機としてしか人間と関われないのだから。

しかして、彼女の恋愛はうまくいったように見えるが、緑の恋愛のほうが真実味があったように思われるので切なく、だからこそ、この物語は美しく成立しているのである。