「昔、男」むかし おとこ Mukashi Otokoの話
講談社学術文庫で「伊勢物語」を読んだ。この作品は中学校の国語の授業で扱われていたので「かきつばた」は読んだことがあった。高校の課程や大学受験などでは登場することはあっただろうか。あったのだろうけれど、忘れてしまった。
在原業平が主人公という話であることは知っていたつもりだったが、全体を通してみるとそうでもない。というか、非常に成立が曖昧な作品なんだということを理解しておらず、面食らう。学生時代の古文の授業は好きでも嫌いでもなく、得意でも不得意でもないといった程度だったが、作品の背景の説明などまったく覚えてないな。教わったかしら。
伊勢物語のような和歌を連ねてひとつの物語を描くような作品を「歌物語」と呼ぶそうだが、解説を読むと厳密に歌物語と呼べる作品は「伊勢物語」のほかには「大和物語」くらいだそう。
Wikipediaの項目で「主な歌物語」を覗くと、もう少しくらいある。
「伊勢物語」は実在した在原業平と彼の残した歌を中心に、彼の作品でない歌なども織り交ぜつつ、フィクションを形成している。原本とされるものは現存していないが、いくつかの写本が残っており、それぞれ微妙に採取されている物語が異なるということらしい。こういう物語の形態というのは、もう作られないよねぇ。
この物語に「伊勢」と付いた理由だが、これも諸説あるとのこととなっている。しかし、やはりというか「伊勢」周辺のストーリーが主題的だという説がしっくりくるのではないか。確かに印象が強い。そのほか、零落した貴族の生活ぶりの歌や、皇子が出家する歌などが、おもしろみを感じさせられた。
しかし、ほとんどの歌について対訳がないと厳しいね。
英語で"eurhythmics"ですってという話
赤い公園の2ndフルアルバムというの、今年の9月末に発売していた。「猛烈リトミック」である。猛烈というのは分かるけれど、リトミックって知らないじゃない。ググルじゃない。フランス語らしいじゃない。英語で”eurhythmics”ですって。
ははぁ。フランス語ではHの音を発音しないというからカタカナにすると「リズミック」というところが「リトミック」になるんだなぁ。英語になればちょっと分かるね。「リズム教育」ですって。教育されるんですね。というわけで「猛烈なリズム教育」を施されると思いましょう。
NOW ON AIR
「写真あげている」という歌詞がある。この部分だけ切り出すと意味が分かりづらいのだが、写真をInstagramかTwitterかFacebookか知らんけれど、Webで共有しているということらしい。若い歌詞ですね。新鮮です。
公式のページにPVがあがっているのだが、いつだったかのAKB48のPVよりも、よっぽど女の子らしさが生々しく、なるほどそういう意味では確かにロックバンドであって、しかし、これを男性が覗いていいものかという恐怖がある。カットごとに女の子の位置関係が変わり、言うまでもなく何度かテイクしているのだろうけれど、まぁ楽しい。
絶対的な関係
1曲目に続けて気持ちのいいジャカジャカで曲が始まる。シングルカット(カットじゃないのかな?)されている曲かな。サックリと終わる曲ですけれども「中の人」というのが登場する。1曲目でもそうだったけれど、これもネットで使われるところのキーワードと思って間違いないだろうし、割と時代性の強い言葉であるなぁと思うワケです。絶対的な関係は、100秒で終わります。
108
このアルバムでも1番好きな部類の曲ですね。リトミックされている気がします。曲タイトルと歌詞を聴けば、よほど幸せなひとでない限りは仏教的なテーマが元ネタであるということに自然となります。まぁ女の子が歌詞を書いているわけですし、悟りを開いたシッダールタというのはおそらく男性でしたでしょう。
つまり歌詞の対象となっている彼女の恋愛対象も男だと思っていいと考えられますが、その男はまるで悟ったかのような、つれない男になっているのでした。しかし、彼らの関係は破綻しているようでもないので、そこまで絶望的な感じもしない。「絶対的な関係」が恋の歌かは知らないけれど、108は恋の歌ですね、そうですね。
いちご
スローなナンバーと言っていいのか知らないけど、そういう曲ですね。で、この曲くらいからは歌詞や演奏よりもボーカルの佐藤さんの歌声が気になってきます。好むと好まざるに関わらず、歌い方がいままでとちょっと、かなり、大分違っているなと思わされます。もちろん曲によるのだろうけれど、いや、つまり歌うのが巧くなっています。ソワソワします。好むと好まざるに関わらず、です。
誰かが言ってた
引き続いて、佐藤さんの歌声にソワソワさせられます。この辺からポップな曲が珍しくも(珍しいのかな?)しばらく続くように思われるのだけれど、歌い方もそういう曲に合わせられているように思える。極端にキュートでもないものの、一方で、彼女の素の歌い方でもないような。
私
「要するほどに」という歌詞があって、おそらく間違ってはいないと思うのだが、おそらくこれだけでも、前後の歌詞と合わせてもあまり通じる言葉ではないような気がして、それだけ気になった。「わぁー」「がぁー」が好ましい。のちに歌われる「楽しい」よりもこちらのほうが楽しかったな、個人的には。
ドライフラワー
赤い公園のこういう音が好きだなと思っている身としては親しみやすい曲ですが、歌詞は特に独自性の強い部類に入っているので、立ち入るのは止めておきましょう。サビ(どこか分からないけど)の佐藤さんの声も、やぁ、やっぱり丁寧になっているなぁと実感させられるのでした。
TOKYO HARBOR feat.KREVA
1曲目の「NOW ON AIR」よりも地に足の着いた歌詞とメロディで、すごくプロの1曲です。
KREVAさんのラップが入ってくるところで初めて聴いたときはビックリしたものの慣れてくると心地がいい。「NOW ON AIR」を聴いていても感じさせられるが、東京というの、否応がない。
ひつじ屋さん
佐藤さんの巻き舌の部分だけを取り出してリピートして聴きたいですね。これも好きだなぁ。しかし、不思議と消化不良のような後味が残るのはなんででしょうね。子守唄だと思えばそういうものかもしれない。歌詞カードには「めーめー」という部分が記載されているようだけど、演奏では楽器と交ざり合っていく。寝る前に聴きたいですね。やさしい歌です。
サイダー
えーっと、これもシングルになっている曲かな。おそらくポップ調で、多分にJ-POPっぽい曲です。夏の曲なんでしょうね。どこかで流れていたのかな。一通り感想をまとめたあとにアレコレ読んでみると、このアルバムはJ-POPらしさにも一目置いているところがあるらしく、公式の津野さんの言によれば「NOW ON AIR」がJ-POPらしい曲だとのこと。やぁ、この曲こそ。
楽しい
楽しいと思うから楽しいのだという感じですね。コンビニで買った缶ビールをどうのという表現をみるに、おばさんが入り始めている情緒を感じる。演奏のことはあんま分からないけれど、中盤の間奏で「相対性理論」で聴いたことがあるようなフレーズがあって耳に残ります。
牢屋
タイトルが奇妙ですね。「牢屋」って聞いて最初に思い浮かべるの、ドラゴンクエストとかですか。イントロはロックバンドですね、多分。なんですか、神田川のような内容になっていますが、ろくでもない人間関係だなぁと思います。
お留守番
全体的に既知感を覚えるんだけど、なんなんでしょう。算数のドリルを1人でやっているという情景はおそらく子どものものなのだろうけれど、外泊するあなたというのは子どもの表現じゃないので、ドキッとしますね。
風が知っている
「お留守番」と似たような感触がある。どちらかといえば好みではあるんだけど、なんなんでしょう。細かい音の加工などは分かりませんが、ゲーム音楽みたいな感じになっていないかな。あるいはアニメなどで使われそうな感じですか。
木
イントロの歌川さんのドラムがカッコいいなぁ。というか歌川さんて苗字がカッコいいなぁ。広重か。あれ、この曲が1番好みかもしれないなぁと思うと、やっぱりこのバンドらしい曲だからでしょうか。しかし佐藤さんの歌声がやっぱり進化している。うーん、この。最後の音がいいですね。
誰の情操教育
以上。ごく限られた好みの音楽しか聴かないし、自分で演奏することはないので分からないが、アルバム全体としては、赤い公園の個性的な部分というよりは楽曲のレパートリーを広げてきた作品なのだなというのがあります、公式のテキストなどをみれば、なおさら。
少しずつ記したけれど、ポップな曲も多いので少し戸惑う。そんなところに情操教育を感じます。とはいえ、なんといってもメンバーのみなさんがまだ20代も前半の若いバンドなんですよね。
このアルバムの特設サイトなどもかなり力を込められており、諸々を読んでみると、どうもアルバムタイトルは彼女たち自身にも投げかけられているようなので、そこは意識しておきたいかな。
次のアルバムがあるとすれば、歌詞が扱うテーマなどはもっと具体的になりそうなのでそこは楽しみですね。恋愛でも感傷的な歌でもいいですけれど、それでもきっと今回よりはさらに何らかの意味が添えられるはずだから。
ひととおり楽しんだら読む
というわけで、このアルバムは気合いが入っているらしいので、関連情報も多いです。自分が読んだ分だけだけど、以下にリンクを残しておきましょう。1番最後の蔦谷さんとの対談はいいですね。アルバムの趣旨がよく分かる。
望まれるはずの結末が切ない話
『本屋の森のあかり』全12巻を読んだ。書店や読書に関心があって、加えてラブコメディーが好みでないのでなければ、読んでみて損はないというか、興味深いのではないだろうか。読書の秋です、読みましょう。
タイトルに従って、書店とそこで働く人々の物語です。登場人物のひとり、ヒロインはあかりという女性で、彼女が東京の本店に異動になってからはじまる成長と、恋模様が描かれます。
彼女が恋した男は、人生が読書そのものであった男です。やさしいひとですが、変人として描かれており、例えば、家族からは人間味に欠ける人物として扱われています。結末から述べると、彼女の恋は成就します。意地の悪い言い方になりますが、この結末の後味は悪く、それが本作の魅力のひとつとなっています。
あかりの恋はもうひとつありました。同期の緑が彼女に恋をしています。つまり、この恋は成立していません。都合、あかりにまつわる恋は本作で2つありました。そして、本作の主題となる恋愛は実は緑の失恋になると私は判断しました。そうすると、この作品のおもしろさは確かなものになります。
ところで、あかりの恋が少なくとも物語の結末としては成立することは、最初から見込まれていたようです。それを大雑把に解釈しようとすると本作は、現実感がない男に惹かれた彼女を描き切るのが趣旨だったのかもしれないし、その背後で惹かれ合った男女のタイミングの喪失が描かれているのが魅力なのかもしれません。
成立しなかった恋についてですが、言うまでもなく、あかりは緑の魅力に気がついています。そして確かに惹かれています。そして緑の恋が成立することが私には期待されました。なぜかといえば、緑の人間的な魅力の方が、あかりの恋した男よりもよっぽど強く描かれているからです。
誰に惹かれるかは個人の人間の事柄ですし、あかりが誰に惹かれようと彼女の問題ですが、一方で読者がどういう結末を強く意識するか、願うかもそれぞれです。つまり、繰り返しますが、あかりの恋が叶う結末が本作の魅力か、あかりと緑の恋がすれ違ったまま終わったことが本作の魅力か、どちらでしょう。いやはや素敵な物語です。
あかりが惹かれた男についてもう少しだけ述べておきます。
本作は「読書が人生」という人間を描き切れていないようで、それを描き切ります。結末の要点となりますが、彼女が恋した男は、彼の理解者である父親の死を受けて、当たり前ですが、人並みに哀しみます。そのとき彼女は彼の支えとなり、男もこれを素直に受け入れます。
もちろん結末に至るまでも、彼女と男との交流はあるのですが、これが「読書が人生」の男の人間性を取り戻す過程であって、そもそも「読書が人生」の男は、恋愛ベタというようなレベルではない人生観にある人物でありました。
あるいは、この男が彼女に惹かれていく過程を、彼の父親の死を使わずに、言って見ればもっと丁寧に描くこともできただろうけれど、仮にそうしたときには、男からは「読書が人生」でなくなっているはずであって、そのとき、彼女が惹かれた男の正体はどこにあるのか分からなくなる。この男は本を契機としてしか人間と関われないのだから。
しかして、彼女の恋愛はうまくいったように見えるが、緑の恋愛のほうが真実味があったように思われるので切なく、だからこそ、この物語は美しく成立しているのである。
ルージュラにオスはいない
インターネットで遊んでいたら「女ポケモン」というキーワードに出くわしてなんだかとっても面白かったので、「ルージュラ」というポケモンが初代ポケットモンスターで強キャラとして名を馳せていたということを思い出したのでした。
あきらかに設定が揺れていて、タイトルの通りであるが、ルージュラにはオスが居ない。ところで、ポケモンは第2作からだと思うが、タマゴを産み、世代を交代するという設定が追加された。であれば、ルージュラはどうする。
Yahoo知恵袋の回答である。
ルージュラにオスはいません。
>ではどのようにして卵を産ませるんですか?
メタモンと一緒に預けるか、
同じタマゴグループ (人型)のポケモンのオスと一緒に預けます。
人型のポケモンにはカイリキー系、フーディン系等がいます。
人型は他にもいっぱいいるよ。
わぁ、生々しい。ちなみに、カイリキーにはメス型がいるようなので、ルージュラはかなり特徴的なキャラクターだということが、やはり伺える。もう5代目か6代目くらいまであるはずなので、もしかしたらほかにも同様の設定のポケモンはいるかもね。
その辺の考察みたいなの、しているWebの記事などもたくさんあるだろうけれど、別に読みたくもないよね。ルージュラよ、強く在れ。
よい朝を。
人間と犬についてのどこにでもある話
藤子・F・不二雄の割と熱心な読者であったし、今もある程度はそうなのだが、話題は犬である。ただしドラえもんは、猫である。しかして、タヌキはイヌ科である。ところでイヌ科はネコ目である。つまり、F先生のマンガには犬がテーマとなって登場することが多いのである。3つ挙げろと言われてしまったら君はどうする。僕はこうする。
バウワンコ
ひどい名前だが妙に覚えやすいのが「バウワンコ」である。ゴムまりのように石像が動く、とはいうものの昨今の少年少女にはゴムまりが分からないのではないだろうか。私も分からない。「ヘビースモーカーズフォレスト」などと、またまたぁ。ペコが船旅の末、日本にたどり着いたというエピソードが実はこの作品の中で1番印象強いところであり、いかにも彼はそのときに犬であった。
大長編ドラえもん (Vol.3) のび太の大魔境 (てんとう虫コミックス)
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高畑氏は新聞を灰にした
高畑氏が新聞を焼いているシーンが心から離れることはない。野犬化した犬たちはハンターに狩られてしまったのである。「サマードッグ」という言葉、あまり聞いたことがないものである。大人はみんな嘘つきなのだ。コンポコは、イヌ科である。犬であると断言はしないのだ。
あ、これ犬じゃねぇ。オオカミだ
T・Pボンといえば、ダブルヒロインがうまい名作中の名作であるが、「シュメールの少年」に犬が登場する。この存在こそが私のF先生の作品遍歴のなかで随一の犬であった、はずなのだが、よく読み返したらオオカミだった。
偶然にも楔形文字の誕生の現場に居合わせた俺たちは…、ルウというオオカミを伝令役にした少年と少女の機微により、村の危機を救うのであった。といったエピソードなんだけど、これオオカミでした。
えーっとね、言い訳をしましょう。この話を土台にした特集が以前、どこかの紙面で組まれていたのだが、つまるところ犬が犬として家畜化されたその歴史は古く云々、人類の歴史は犬とともにあった云々、云云かんぬん。
T・Pぼん (3) (中公文庫―コミック版 (Cふ1-7))
- 作者: 藤子・F・不二雄
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犬ほど人に寄り添ってきた動物もなかなか居ないように思われる。彼らの助けについてと、そこに支えられている人の社会の仕組みというのは、単純ではない。ただ1個の人間と犬との関係に立ち直れば、それだけのエピソードがあって然るべきだとも思う。
と、今日はドラえもんの誕生日ですねぇ。
よい朝を。
24分間テレビ観ました
日曜日の夜、20時30分頃から日本テレビを点けると、およそ2キロ程度の距離を残して、TOKIOのリーダーである城島さんが、日本武道館に向かって、最後の力を振り絞り、着実に、歩みを進めて、ゆくシーンが映し出された。
あぁ、これはゴールするだろうなぁと思いつつ、眺める。
どこからかTOKIOのほかのメンバーが登場する。一緒に走った。邪魔だと思う。
果たして到着した。メンバーは入り口で待機するものの、城島さんは彼らを呼ぶ。しかし、彼らは来ない。中途半端な邪魔だったなぁと思う。城島さんは、しかたがないので、独り、寂しそうに、ゴールテープを切った。
総合司会であるらしい関ジャニが迎える。羽鳥さんがごにゃごにゃ言っている。城島さんが応える。比べるようなものでもないが、28時間テレビのキムタクの最後のインタビューが頭をよぎる。
時間が余っているので関ジャニのメンバー1人1人が城島さんへメッセージを送る。城島さんも関西のお方ですから、関ジャニとしてはそういった意味でも偉大な先輩なのだろうなぁと思うものの、だからなんだという感じである。
加山雄三さんがリーダーがどうのこうのと仰っていたが、どうも勘違いがありそうな雰囲気であり珍妙な光景であった。サライは流れるものの、谷村新司さんはいっこうにクローズアップされず、大変である。
2億4千万円くらい、募金が集まったそうだ。色々と役立てばいいですね。
よい朝を迎えましょう。
高解像度だからって別に...
そう思っていた時期が私にもありました。
種々の混乱を乗り越えて、Kindle Fire HDX 8.9 を購入しました。半日使ったところでの感想ですが、まぁ悪くないです。高解像度は正義です。独自のUIは微妙にチグハグな感触を細部に残すものの、素のAndroidタブレット、またはiPadの諸製品と異なり、7インチ以上のタブレットをはじめから意識しているUIだということが何よりも正しい。
アプリは地下トンネルを抜けて
のっけからこの話題になるのは気が引けるものの、避けては通れぬ白河の関。ぶっちゃけ、適当なアプリを使って「.apk」ファイルをぶっ込むしかないですね。しかし、ほかのAndroid端末を所持していない生粋のAmazonユーザーには使えない。そうは言ふても生粋のAmazonユーザーであれば抱くはずのない不満だ。世知辛い。
ついては以下の記事を参考にさせてもらいました。
画像系で配信される電子書籍とディスプレイサイズ
電子書籍の書店自体がばらけるのは仕方ないと割り切って、雑誌などの画像PDF(詳細には諸々あるみたいですけどね)の電子書籍は「honto」で購入することが多いです。つまり、hontoをぶっ込んでみましたが、特に現時点では問題はありません。
今回、7インチじゃなくて8.9インチを買ってみたのは、7インチでも、画像系PDFの電子書籍を個人的には小さ過ぎると感じるからでした。結局、7インチですと1ページがかなり縮小された状態でないと映らない。
ついでに「Pocket」も入れました。短ページの記事などであればやっぱりスマートフォンからの閲覧で大体済むのだけれど、あんまり慣れていない領域の記事などは大画面で読みたいものですから。なぜか本文は明朝体系のフォントになるけれども、問題なし。
音はよく伝わる。止めたくならない
これは、Nexus 7は比にならない。タブレット端末ってスマートフォンよりスピーカーに期待しちゃうもんね。Nexus 7を買ったときに音楽をかけて、そっとすぐ止めたのを思い出しました。音楽を聴きながら読書するというのが、この端末で済む。こわいね。
高解像度からって別に
とはもう考えられませんね。Nexusに戻れないのにはこれもあります。高解像度は正義です。繰り返すけど、画像系PDFの電子書籍を読むときに解像度が低いとそれだけで厳しい。ページを捲るたびにエネルギーがどんどん奪われる仕組みになっている。iPad miniのRetinaはやや小さいうえ、今回購入したHDX 8.9と同等のお値段になる。
どっかにストレージを確保せん
Amazon Cloud Strageってあるみたいだけど、使ってみるかな。これなら余計な手間は最小限で済みそうだ。そのうちやってみようか。
よい朝を。