夜が明けたら

こうやって…待っているうちに…、いずれ、夜が明けたら…。

End of July 2014

先日の日記から幾らか日数が経った。

Android端末のKindleアプリで問題ない

Kindle Paperwhiteの挙動が怪しくなって、哀しくなった、という思いを綴った。

その後どうしているかしら。Paperwhiteちゃんの電源は入れていない。Nexus 5にKindleアプリをインストールして、今まではこちらはサブみたいな扱いで使ったり、使わなかったりしていたのだけれど、主戦力と化してしまった。検索機能とか、微妙に怪しいところがありますが、すこぶる快適です。

ただし、7インチ以上の端末への葛藤

テキストの書籍(普通の本)、マンガは、Nexus 5のディスプレイでも読んでいてそれほど不満は無い。問題は、雑誌などのPDF(とそれに類する形式)の書籍だ。これ、どうも私には所謂スマートフォンサイズのディスプレイだと厳しい。

選択肢は大雑把に言って3つある。林檎か、検索の悪魔か、嫌われ者の密林の三択だ。林檎のそれらは相対的に価格が高いままだし、iOS 7以降のデザインは奇妙に思われる。検索の悪魔が提供するNexus 7は以前持っていたが、スマートフォンとほとんど同じUIなのが気になる。これは言ってしまえば、iPadにも言える点なのだが、どうもスマートフォンと同じUIとなるのが解せない。細部では異なっているのか知らないけれど。

そこで私はいま、Kindle Fire HDX 8.7が案外、よい商品なのではないかと思っている。

Windowsはなぁ、電子書籍用のアプリの提供が貧弱すぎて比較対象にならない。

ところで、建築家のラゴスの件で

電子書籍といえば「天冥の標 8 ジャイアント・アーク」は読んだかね。大分前に電子化されておったようだが、先日やっと読んだ。第1巻での出来事とやっと繋がる。あまりにも険しい道のりだったが、このまま結末を駆けるのか分からないので、断定的に何かを語ることはできない。

ただし、全巻を通して確認したわけではないので、過去の内容については曖昧な部分もあるけれど、ラゴスの存在意義が妙に気になる。というか、イヤな言い方をすると、気持ちが悪い。何のために彼、彼らはいるのか。どうして登場させた。

そもそも「ラゴス」って何だ。「旅のラゴス」か。ナイジェリアの都市名だそうだが、辿れば語源はゴロゴロと転がっているのだろう。しかし「虚無回廊」的な視点が与えられたものであるし、展開は楽しみですね。

天冥の標VIII ジャイアント・アークPART1 (ハヤカワ文庫JA)
 

 赤い公園「世紀末」の歌いぶりと佐井好子

夜明けにガールズバンドを聴く、とかよく分からないことを言っていたけど、飽きずにコロコロと聴いています。赤い公園の「世紀末」の歌いぶりを聴きながら、佐井好子を連想してしまった。

歌い方というか、歌唱一般に詳しくはないのですが、声の震わせ方なのかしら、この曲のサビと思われる箇所の、ボーカルの佐藤さん、だと思うけど、凄くいいです。

思い出のマーニーなんぞ、知らん

「思い出のマーニー」観てきたひとのたちの感想は概ね良い、らしいので気にはしていますが気に入らないのであります。まずは「アナと雪の女王」を消化しないといけないんじゃないの。

金髪じゃない方の女の子が主役、にあたるヒロインだと思いますが、彼女の髪型がダメです。これには拒否反応だ。なんだっけな、あの髪型。思春期に入ってやや自暴自棄になってしまっているような感覚を体現したような。あの典型はどこにある。荒野か。

ただ、よくよく考えれば、名探偵マーニーの髪型もその延長線上みたいな感じである。

HEROの主人公は誰か、なんて問わない

相変わらず視聴を続けておりますミスコメディー「HERO」ですが、脚本が実に味わい深いものです。第3話で田村検事の小さな男気、プロ意識を、第4話では宇野検事の小さな羽ばたきを、存分に楽しんだ。

その一方で各検事と事務官、久利生と麻木の関係性も構築してくる。心憎いですね。確かに久利生は活躍しているし、木村さんの演じる彼はカッコいいんだけど、上手に相対的な見所のひとつになっていて、それが何より好ましいと感じるのでした。

今夜は涼しいので、なんだか寂しいですね。それでは。